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第3章 言葉にならない

図書館の扉を開けたとたん、
なぜだか、胸の奥がふっと静かに満たされる気がした。

ノアは、もうそこにいる。
そんな確信のようなものが、自然と胸に灯っていた。

かのは、何も言わずに席に向かう。
ノアもまた、言葉をかけることはしなかった。

けれど、ふたりの間に流れる空気は、
昔から知っていたものみたいに、
やわらかく、心地よかった。

時計の針が、遠くで静かに動く音だけが響いていた。
まるで、ふたりの世界を、そっと守るために。


ページをめくる音だけが響く。
かのも、ノアも、本を開いている。

でも、文字を追うよりも、
そこに一緒にいること自体が、
なによりも自然だった。

ふと、ノアが顔を上げた。

「……さみしくないの?」

声は、ひどく静かだった。

かのは、一瞬だけ胸が波立つのを感じた。

本当は、さみしいときもあった。
でも、今ここにいるこの時間は、
そんな気持ちをそっと包みこんでくれていた。

かのは、ノアをまっすぐ見て、やさしく微笑んだ。

「いまここにいられるだけで、うれしいんだ。」

ノアは、驚いたように、かのを見つめた。
そして、ほんのすこしだけ、目を伏せて、

「……そっか。」

と、小さな声でつぶやいた。


ふたりの間に流れる沈黙は、
もう怖いものではなかった。

言葉にしなくても、
少しずつ、心は近づいていける気がした。

けれど、かのの胸の奥には、
小さな、不安の棘も隠れていた。

もし、この時間が終わってしまったら。
もし、ノアがふたたび、遠くへ行ってしまったら。

そんな思いが、ふと影のように顔を出す。

それでも、かのは決めた。

「いま」を信じること。
この瞬間に、迷いなく心を差し出すこと。

ノアが、記憶を取り戻すかどうかじゃない。
ただ、いまここにいるノアを、大切にしたかった。


時計の針が、遠くで静かに時を刻む。

急がなくてもいい。
焦らなくてもいい。

ふたりだけの時間は、
まだ、ここに確かに流れている。

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