図書館の扉を開けたとたん、
なぜだか、胸の奥がふっと静かに満たされる気がした。
ノアは、もうそこにいる。
そんな確信のようなものが、自然と胸に灯っていた。
かのは、何も言わずに席に向かう。
ノアもまた、言葉をかけることはしなかった。
けれど、ふたりの間に流れる空気は、
昔から知っていたものみたいに、
やわらかく、心地よかった。
時計の針が、遠くで静かに動く音だけが響いていた。
まるで、ふたりの世界を、そっと守るために。
ページをめくる音だけが響く。
かのも、ノアも、本を開いている。
でも、文字を追うよりも、
そこに一緒にいること自体が、
なによりも自然だった。
ふと、ノアが顔を上げた。
「……さみしくないの?」
声は、ひどく静かだった。
かのは、一瞬だけ胸が波立つのを感じた。
本当は、さみしいときもあった。
でも、今ここにいるこの時間は、
そんな気持ちをそっと包みこんでくれていた。
かのは、ノアをまっすぐ見て、やさしく微笑んだ。
「いまここにいられるだけで、うれしいんだ。」
ノアは、驚いたように、かのを見つめた。
そして、ほんのすこしだけ、目を伏せて、
「……そっか。」
と、小さな声でつぶやいた。
ふたりの間に流れる沈黙は、
もう怖いものではなかった。
言葉にしなくても、
少しずつ、心は近づいていける気がした。
けれど、かのの胸の奥には、
小さな、不安の棘も隠れていた。
もし、この時間が終わってしまったら。
もし、ノアがふたたび、遠くへ行ってしまったら。
そんな思いが、ふと影のように顔を出す。
それでも、かのは決めた。
「いま」を信じること。
この瞬間に、迷いなく心を差し出すこと。
ノアが、記憶を取り戻すかどうかじゃない。
ただ、いまここにいるノアを、大切にしたかった。
時計の針が、遠くで静かに時を刻む。
急がなくてもいい。
焦らなくてもいい。
ふたりだけの時間は、
まだ、ここに確かに流れている。

